101号室の生活記録

忘れられたものと、世の中の隅の方にいる考える住人

2/23

金曜日

 

穏やかな朝だった

ふと昨日の夜の記憶が蘇る

他人との会話の内容など

よほどのことがない限りはないだろう

 

昨日の議題は、“自己犠牲”についてだった

わたしは小さな頃から自己犠牲は当たり前の認識だった

しかし現代において、その考え方はあまり通用しない

どころか時代遅れである

無論、自己犠牲の概念を他人に強要するなど

もっての外であるしそれはしたことがない

ただ自分はそのスタンスで、これまでやってきた

勿論、それは他人はおろか自分に対してであっても

決して良いものではない

 

いつからか、頑張ることを頑張らないと決めて

日々生きているが、葛藤する毎日

心身ともに疲弊してまで苦しむ必要は無いことも

頭ではわかっているが、いざ目の前に苦しむ人がいて

何もせずにいるなど私にはきっとできない

 

そういえば、今日本屋で立ち読みした

20代までに得たい17のことという本の中に

自分の考えのルーツを把握するという項目があった

 

今考えれば、私が持つ自己犠牲をしてしまう理由は

自分と同じような苦しみを味わってほしくない

その一心なのだと思う

 

今でこそ、親友にも自分のことについても

少しずつ話せるようになってきたものの

これまでずっと一人で闘ってきた

今でも鮮明に覚えている記憶がある

受け入れがたい事実を受け止めきれず、

一人部屋の中で泣き続けた夜

でも、どんなに苦しく辛いときでも

頼れる人など存在しなかった

 

人によって苦しさや辛さは人それぞれであり、

それを全て分かりきることは不可能である

しかし、理解しようと寄り添い続けることはできる

そして寄り添い続けることで、ほんの少しでも

その人の苦しみや辛さが和らぐのならそれだけで

私は良かったと思える

 

難しい議題であるが、これだけは1つ伝えたい

もうそろそろ、自分を大切にしてあげてほしい

今度こそ、どうか自分で自分を大切に

幸せにしてあげてほしい